12-1. スピンとは?
今回はスピンについて学ぶ。 スピンは前回学んだものとは異なるタイプの角運動量である。 前回学んだ角運動量を「軌道角運動量」と言う。 これは、3次元Schrödinger方程式における位置と運動量 \[ \hat{x}, \quad \hat{y}, \quad \hat{z}, \quad \hat{p}_x, \quad \hat{p}_y, \quad \hat{p}_z, \] を用いて、古典力学と同様に作られる量 \[ \hat{L}_x = \hat{y} \hat{p}_z - \hat{z} \hat{p}_y, \quad \hat{L}_y = \hat{z} \hat{p}_x - \hat{x} \hat{p}_z, \quad \hat{L}_z = \hat{x} \hat{p}_y - \hat{y} \hat{p}_x \] であった。 その際に考えているHilbert空間は、\( \hat{x},~\hat{y},~\hat{z} \) の固有状態 \( \ket{x, y, z} \) たちの線型結合で張られる空間 \( \left\{ \ket{x, y, z} \right\} \) であった。 これは平たく言えば、「時刻 \( t \) に位置 \( (x, y, z) \) に粒子が存在する確率を与える波動関数 \( \Psi (t, x, y, z) \) さえわかってしまえば、その粒子について全部わかっている」ことを仮定している。
この仮定はどのくらい妥当なのだろうか。 位置 \( (x, y, z) \) に粒子が「どういう」状態で存在するか、という区別がさらに必要な可能性はないだろうか。 実は、自然界の粒子には、位置 \( (x, y, z) \) に由来しない角運動量があることがわかっている。 これは粒子の軌道運動 (位置を変える運動) には由来しない角運動量なので、「スピン角運動量」と呼び、軌道運動に由来する「軌道角運動量」とは区別する。 スピンというのはあくまで名前である。 古典力学では、物体のスピンにより生じる角運動量も突き詰めればその物体を構成する微小質量の軌道運動に由来している。 一方、量子力学では粒子を微小質量に分解することはできないので、古典力学のスピンとは別物と考えた方がよい。
スピン角運動量は角運動量の一種なので、軌道角運動量の交換関係 \[ [\hat{L}_x, \hat{L}_y] = i \hbar \hat{L}_z, \qquad [\hat{L}_y, \hat{L}_z] = i \hbar \hat{L}_x, \qquad [\hat{L}_z, \hat{L}_x] = i \hbar \hat{L}_y, \] と全く同じ交換関係 \[ [\hat{S}_x, \hat{S}_y] = i \hbar \hat{S}_z, \qquad [\hat{S}_y, \hat{S}_z] = i \hbar \hat{S}_x, \qquad [\hat{S}_z, \hat{S}_x] = i \hbar \hat{S}_y, \] を満たす演算子として導入される。 しかし、スピン演算子が作用するHilbert空間は \( \mathcal{H}_{\rm 3d, space} = \left\{ \ket{x, y, z} \right\} \) ではなく、粒子の内部自由度を記述する別のHilbert空間 \( \mathcal{H}_{\rm spin} \) となる。 そのため、スピンを考える際のHilbert空間は、元のHilbert空間 \( \mathcal{H}_{\rm 3d, space} = \left\{ \ket{x, y, z} \right\} \) に加えて、粒子の内部自由度を記述する \( \mathcal{H}_{\rm spin} \) を「合わせた」空間 \( \mathcal{H}_{\rm 3d, space} \otimes \mathcal{H}_{\rm spin} \) になっている。
12-2. スピンの振る舞い
今日のアニメーションでは、とりあえず難しいことは忘れて、Larmor歳差運動と呼ばれるスピンの面白い振る舞いを見てみよう。 これは粒子に磁場をかけた時の振る舞いである。 電荷を持つ粒子にスピンがあると、磁束密度 \( \boldsymbol{B} \) に応じてスピンの向きを変えたがることが知られている。 Hamiltonianで書くと、 \[ \hat{H} = - \gamma \hat{\boldsymbol{S}} \cdot \boldsymbol{B}, \] となる。 \( \gamma \) は磁気量子比と呼ばれる定数である。 内部状態の時間発展は、このHamiltonianの下でのSchrödinger方程式 \[ i \hbar \frac{\partial}{\partial t} \ket{\chi (t)} = \hat{H} \ket{\chi (t)}, \] を解けば求まる。 スピン演算子は、Pauli行列 \( \sigma_x, \sigma_y, \sigma_z\) を用いて \[ \hat{S}_x \overset{表示}{=} \frac{\hbar}{2} \sigma_x, \qquad \hat{S}_y \overset{表示}{=} \frac{\hbar}{2} \sigma_y, \qquad \hat{S}_z \overset{表示}{=} \frac{\hbar}{2} \sigma_z, \] と表せるのだった。 内部状態は、規格化されていることを考慮して、 \[ \ket{\chi} \overset{表示}{=} \left( \begin{array}{c} \alpha \\ \beta \end{array} \right), \qquad |\alpha|^2 + |\beta|^2 = 1, \] と書ける。 左図はこの内部状態の時間変化であり、右図は実空間でのスピン演算子の期待値 \[ \braket{\hat{S}_x} := \bra{\chi} \hat{S}_x \ket{\chi}, \qquad \braket{\hat{S}_y} := \bra{\chi} \hat{S}_y \ket{\chi}, \qquad \braket{\hat{S}_z} := \bra{\chi} \hat{S}_z \ket{\chi}, \] の時間変化である。 磁場をかけると、内部空間で左図のような時間発展をする結果、右図のようにスピン演算子の期待値の向きが歳差運動 (= 軸の周りを回る運動) を始める。 磁場の方向を変化させると、歳差運動の軸が変わっていくことがわかる。
次に磁場の変化をゆっくりにしてみよう。 すると先程と異なり、歳差運動の軸とスピンの向きのなす角がほぼ一定のまま、スピンが磁場の向きについて行くことがわかる。
12-3. Double cover
ところで、上のアニメーションで、左図の点が一周する間に右図の矢印が軸周りに二周していることがわかる。 これを見るため、磁場とは関係なく、内部空間での状態を適当な時間の関数として回してみよう。 するとやはり、内部状態が1回転する間に、実空間でのスピン演算子の期待値の向きは2回転していることがわかる。 これは、「SU(2) (= 内部状態を回す行列全体) はSO(3) (= 実空間での回転を表す行列全体) の二重被覆 (double cover) である」ことの現れである。